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人生を変えるような「言葉」は、意外と微妙な奴から出てくる、という話

こんにちは、もっつです。

先日、妻と家でTVを観ていたら、「芸能人の○○さんの人生を変えた、アノ人の言葉!」みたいな、何とも既視感のある企画をしていました。それを見た妻は『そんな都合よく、他人の一言で人生なんか劇的に変わらないよね~』と、実に冷めたリアクションをしていました。私もその気持ちは分からんでもないです。

…が、実は私も、”とある人”の言葉が、私の人生観を変えたんじゃないかな?と、思い当たる節がひとつだけあります。それは、家族でも友人でも恩師でも著名人でもなく、実に“微妙な人”からの言葉でした。

そこで今日は、人生を変えるような言葉は、意外と微妙な奴から出てくる、という話を、だらだら書き綴ってみたいと思います。

舞台は「高校の野球部」

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私がその言葉に出会ったのは、高校時代でした。当時は高校球児で、三年間頭を丸刈りにして日々白球を追いかけていました。

私が通っていた県立高校の野球部は60人程で、歴史が古く「古豪」とあらがちな形容をされていました。また「自称・進学校」の側面もあり、文武両道で勉学も野球も強い…というのを売りにしていました。実際にマジで甲子園は目指していて、私の代では県ベスト4が最高位でした。

…ここまで語ると実に聞こえの良い実績にみえますが、正直私にとっては、高校野球はあまり良い思い出ではありませんでした。

地方の自称・進学校が語る“文武両道”とは、実態は学内が進学クラスと平凡クラスがくっきり二分されていて、両道というよりは"文"担当と”武”担当で分かれています。私のいた野球部は、有名シニア出の実力者だが勉強はサッパリという”武”担当が大半を占め、私は数少ない”文”担当…という状態。圧倒的に実力不足の私は、最後の夏に20人のベンチに入るのがやっとのレベルでした。部の中でメインストリームになれず、部内の友人関係も希薄で、常に肩身の狭い思いをしていました。

強烈な父兄「羽鳥パパ」

私の同級生に、羽鳥くん(仮名)というムードメーカーの副キャプテンがいました。彼自体は非常に明るくてとても良い奴なのですが、問題なのは、この羽鳥くんのお父さんでした。

自営業なのを良いことに頻繁に部活の見学に来ていて、大量の差し入れをくれる代わりに、頼みもしない練習指導も買って出るなど、他を圧倒して自己主張の強い父兄でした。

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※羽鳥パパのイメージ(フリー素材)。いつもラフな格好に帽子・チョビヒゲの出で立ちで、毎度ガリガリ君の差し入れと手厚い野球指導をしてくる

今思うと、相当厚かましい若干迷惑なオッサンでしたが、部の中ではむしろ「面倒見の良い、面白いお父さん」というポジティブな認識で、部内でも父兄会でも有名人でした。息子の羽鳥くんですら、アクティブな父親の行動を止めるのを完全に諦めていました…

歴史の古い学校や部活動あるあるですが、部のOB会や父兄会の活動も非常に盛んで、むしろ生徒本人を置き去りにするレベルで出しゃばって盛り上がる雰囲気すらありました。ですから、羽鳥パパの大胆な振る舞いは、別に違和感は無いどころか「熱心なお父さん」で許容されてたんですね。

正直言って、私はグイグイ踏み込んでくる羽鳥パパが苦手で、いつも目に触れないようにしていました。

羽鳥パパの「贈る言葉

夏の大会が終わり引退した8月、父兄会が県内のホテルを貸し切って、関係者を集めた「謝恩会」を開いてくれました。その会には、当然引退選手である私も出席し、主張の強い父兄会にやる気のなかった私の父親も申し訳程度に同席していました。

f:id:motzmotzz:20200815092645j:image※こんな感じの会場でした

謝恩会の内容は、監督や校長、父兄会やOB会の会長らが私達にねぎらいの挨拶をして、会食。最後には皆で校歌を会場全員で大合唱して大団円…というものでした。

しかし、そこでお酒の進んだ羽鳥パパが、会の途中で突然壇上にあがり、マイク片手にこう言い放ちました。

『引退した君たちに、私から一人ひとりに言葉を贈りたい!』

…なんかすげえ嫌な予感する

『まず清水!』

『君はエースとしてよくやった!課題だった荒れ球はむしろいい味出してたな!!』

『今後も小さくまとまらず、荒れた個性もひとつの武器として突っ走ってくれ!』

『次に青木!』

『君は2年生からチームの正捕手として、リーダーシップが素晴らしかったな!』

『将来は、「扇の要」から「社会の要」になって活躍するのを、期待してるぞ!』

…え?これ引退する17人全員にやるの???

羽鳥パパは酒も入って絶好調。会場は「羽鳥さん!イイぞ、イイぞ!」の大盛り上がり。もう誰も彼を止められませんでした。

斎藤・沢口・本田…背番号順に次々と、羽鳥パパから有り難い御言葉が贈られます。

果たして、ずっと控えに甘んじて活躍もできなかった私に、何と言うつもりなのか??

私は、最後の最後にとんでもなく大恥をかかされるんじゃなかろうか???

というかそもそも、私みたいな影の薄かった奴に、贈るような言葉ってあんのか???

……

そして、恐怖の私の番。会場に何十人もいる中、大音量のマイクでこう言い放つのでした。

『もっつ君。君は正直、この野球部では控えばかりで、あまり活躍の場がなかったな。』

『でも…今後は、君が活躍する場が山ほどやって来るから、臆せずどんどん前に出なさい!これからは、君が主役になる番なんだぞ!

「俺は、人前に出てイイのか?」

率直なことを言うと、大勢の人前でしかも横に父親もいるのに、人様の息子によくそんな事が言えんな…って思ったりしました。やはり羽鳥パパは、シンプルに頭がぶっ飛んだオッサンだったんじゃないかと思います(笑)

しかし、思春期真っただ中の私にとって、このやや失礼で、インズバ140km/hのド直球な言葉は、非常に心の奥深くにグッサリと刺さりました

肩身の狭い3年間を過ごし、人影に隠れる“控え根性”が肌に染み付き、前に出ることを完全に諦めていた私は、『そうか…俺って、人前に出てイイ人間のか。』などと、妙な説得力すら感じてしまいました。

高校を卒業し、地元からも野球からも離れた私は、大学デビューのようなタイミングを機に、自然と人前に出れるようになった気がします。グループの長をやるような機会も多くなったし、集団の中で肩身の狭い思いをするシーンはかなり無くなった気がします。

ぶっ飛んだ羽鳥パパの言葉は、暫く私の脳裏にこびり付いていたことは確かで、もしかしたら、私の人生に大きな影響を与えていたのではないか…と、今になって思ったりします。

心揺さぶる言葉は、意外と変な所に落ちている

こういう手の話って、普通は親とか親友とか恋人とかライバルとか、或いは恩師や尊敬する有名人…等々、自分にとって縁が深い人が絡むのが”セオリー”でしょう。その方が物語的にキレイですし。

しかし、「チームメイトの(やや頭がぶっ飛んだ)お父さん」とかいう“超微妙”な人の言葉が、自分の人生に影響を及ぼすとは、全く思いもしませんでした。でも、案外そういうもんなのでしょうね。

……

私は今はもう野球はすっかり”見る専”になってしまいましたが、やはり今みたいな夏の時期になると、高校野球をしていた頃をふと思い出します。新型コロナで交流試合になってしまった甲子園を見ながら、肩身の狭かった野球部の苦い思い出や、羽鳥パパに言われた言葉を回顧しています。

もしかしたら羽鳥パパは、しょっちゅう部活見学する中で、すっかり“控え根性”が染み付いて居づらくしてた私の姿を見かねて、あの場であんな言葉を投げかけたのかもしれませんね。亡くなってしまった今では、その真相を聞くことはもうできませんけど。

羽鳥パパのような所謂” おせっかいオジサン”というのは、今のご時世では「時代錯誤」「老害」等と切り捨てられてしまいそうな存在ですけど、やっぱり一定数は必要なのかもしれませんね。そんなことを、高校野球から15年以上たった今、しみじみ感じたりしています。

 

皆さんは、人生を変えるような言葉を、誰かから貰い受けた事はありますか?

それは家族から?恋人から?上司から?著名な本からで?SNSの投稿から?

…それとも、めちゃくちゃ説明しにくい他人のオッサンからですか?

 

毎度、中身の無い話題でサーセン。。。

本日も、お読みいただき有難うございました!