こんにちは、もっつです。
先日、田舎の母親からこんなLINEが届きました。
私の母は現在65歳で、先日10月末に勤め先を定年退職しました。母は45歳くらいに転職してまして、当時は一時的な転職かと思ったら、結局最後まで勤め上げました。
「親は何となく常に働いてるもの」という意識で生きてきましたから、そんな母もとうとう老後のセカンドライフを送るようになったのか…などと感慨にふける所もありまして。
30代の私にとっては、まだ老後のセカンドライフを考えるには早いと思いつつも、母の姿を見て、自分自身の「勤め人としての引き際」について、妙に思いを巡らせてみました。
そこで今日は、定年退職した親を見て、自分の引き際…特にアーリーリタイアを“妄想”してみた話を、つらつらと書き綴ってみたいと思います。
アーリーリタイアを妄想する3つの条件
まず私はそもそも、「定年退職」という言葉があんまり好きじゃない人なのかもしれません。今の職場だって転職で来てますので、引き際も会社のルールでなく自分のタイミングで決めたいなあ…なんて思ってるからです。自分の引き際くらい自分で決めたいですからね。だからこそ「アーリーリタイア」という妄想に興じるワケです。
もちろん、私がいますぐ勤務先に退職願を出せば、たぶん退職はできます。そうなればエブリデイ休日、毎日真っ昼間から酒も飲み放題のやりたい放題です。しかし、たとえお金がたんまりあったとしても、それが本当に私の理想のライフなのでしょうか。
ただ闇雲に「俺も、あの人みたいにアーリーリタイアしたい!」とのたまわっても、しっかり自分自身の話としてブレイクダウンしていかないと、何も現実的ではありません。そこで、より“妄想”を深く楽しむために、3つの前提条件を設定しました。
前提条件1:経済的に自由になれる資産額
これは語るまでもない話。リタイア後も楽しく生きていくには、具体的にいかほど資産が必要か…という話。
せっかくリタイアするのであれば、「生活のためにお金を稼ぐ」という生活スタイルを脱却できるくらいの額が欲しいところですね。
前提条件2:リタイア後に続けるコンテンツ
社会人としての勤務時間が週40時間あるとして、リタイアするとこれが一気に“無”になるわけですから、何もしないとソッコーでボケが進むか、思考思想が偏ります。日々を楽しく幸せに過ごせる、新たな生活基盤となる“就労以外のコンテンツ”が欲しいところですね。
貯蓄と時間が許す限り趣味の世界に没頭するもよし。個人で法人化して何か好きなビジネスおこすもよし。
前提条件3:社会人キャリアの達成感
実はこの年齢になって「社会人としてのキャリアは、わりと財産だ」と感じるようになりました。自分が組織でどんなプロジェクトに貢献したか?仕事で世の中の何の役に立ったか?他人に胸張って話せる仕事をしてきたか?というのは、何気に財産だな…と感じます。オッサンですね、私も。
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まあ行き過ぎて「やりがい搾取」になるのも問題ですが、かといって若くして早々に社会人の地位を切り捨てるのも、ちょっと勿体ない気もしますね。それなりの役職・それなりの責任・それなりのプロジェクトに身を投じて、仲間に恵まれながら、程よく社会人を全うするのも、人生の彩りの要素としては大事なことかなと思いますね。
「ぼくがかんがえた、さいきょうのアーリーリタイア」
これら前提条件を私自身の身に置き換えて整理して、私もっつのアーリーリタイアを妄想を深めてみました。
まずは、“経済的に自由になれる資産額”…「××歳までに○○円」という“おおよそ”でありながら具体的な資産額イメージ。私的にはイメージは持っていますが、それが1億円なのか?3,000万円なのか?それが適切なのか?を掘り下げるのは野暮なのでやめときます。個人属性によりますからね。やっぱり、引続き資産運用・投資を長期間続けていく必要があるな…という結論には行き着くんですけど。
次に、“リタイア後に続けるコンテンツ”…大きな理想を言うと「初めての人・知らない人にとって、手助けになる」コンテンツに身を投じたいですね。リタイア後は趣味に生きていくこもアリかなとは考えたのですが、たぶん私は飽き性なので…そして、何だかんだ「人様の役に立つ」という多幸感ってハンパないですから、そういう感覚に触れながら暮らしていきたいですね。その形がコンサルだろうと講師だろうと。その中身が私の専門である土木分野でも、はたまた資産運用のことでも。軽い収入があれば尚良しですが状況次第ではボランティアでもいい。全然イメージも定まってませんし、そもそも私への需要があればですけど…これは別に今急ぐ必要はないので、長い時間かけて「これだ!」という形を探したいですね。
最後に、“社会人キャリアの達成感”…これは割と具体的で、ズバリ「50代のうちに、惜しまれながら退職したい」ですね。やはり、社会人としてのキャリアで満足感を得るには、それなりに評価と昇進を積み重ねて、中身と責任の濃い仕事に従事する必要があるなと。そしてそれがある程度飽和するのが、きっと50代だろう…と。そして、あえて定年前の58歳くらいに辞めて、同僚達に「もっつさん、もっと出来るのに…」とプラスなイメージを残しながら去りたい。そんな感じですかね。
……
…
- “50代のうちに◯◯円”という目標の資産を形成し…
- 同僚から惜しまれつつ社会人キャリアを終え…
- 日々のお金へのしがらみが消え、人様の役に立ちながら生きていく。
まさにこれが「ぼくがかんがえたさいきょうのアーリーリタイア」像って感じですね。ま、妄想は自由なんで…どうかご勘弁ください(笑)
アーリーリタイアは自分の人生を自分自身で指図すること
母親の定年退職をきっかけに、自分のリタイアについても想いを巡らせてみました。記事の大半が妄想ですみません…
同じリタイアでも、定年退職なら年齢のせいにできますし、解雇されたらのなら雇い主を恨んだり訴えればいいですが、「アーリーリタイア」って、自分の責任で自分の人生を指図して決定することですから、これって実はかなり難しいことだと思うんです。
ネット上では、時たま『◯歳でアーリーリタイア(或いはセミリタイア)を達成しました!』といった方を見かけますが、いざ考えを巡らせていく深めてくと、ただ目先の仕事から解放されるだけがアーリーリタイアじゃないな…と。思った以上に奥が深いような気がします。(もしかしたら、私が奥深く考えすぎなのかもしれませんがw)
おそらく、本気でアーリーリタイアしたいのなら、事前にガチガチにプランニングして、強くイメトレをしておかないと、そう簡単にはできる芸当ではないな、なんて思いましたね。
まあ、私のリタイアなんてまだまだ先の話になりそうなので…まずは、既定路線どおり定年退職した母親が、平日の無限大の時間を持て余してボケたりしないよう注視していかなくてはなりませんね(笑)
本日も、お読みいただき有難うございました!